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仙台高等裁判所 昭和32年(ラ)51号 決定

抗告人 宮城県漁業協同組合連合会

相手方 明和興産株式会社

主文

原決定を取消す。

仙台法務局所属公証人岩住固作成昭和三二年第一、九六九号・第一、九七〇号各債務弁済契約公正証書の正本に付与した執行文を取消し、右執行力ある正本にもとづく強制執行は許さない。

本件異議申立費用及び抗告費用は相手方の負担とする。

理由

抗告代理人の抗告の趣旨及び理由は末尾記載のとおりである。

原審が、「仙台法務局所属公証人岩住固が本件当事者双方の各代理人に依る嘱託により本件二通の公正証書を作成した際、被申立人(相手方)の代理人として右作成の手続に列席した佐藤勤がこれら公正証書に捺印のみして署名をしなかつたこと及び右公証人が佐藤勤の署名のない右公正証書二通につき昭和三十二年九月六日被申立人(相手方)のために執行文を付与したことは当事者に争なく、又佐藤勤が本件公正証書作成の際これに署名しなかつたのはそのとき取急いでいたためこれを忘却したものであることが同人の証言によつて明らかである。」との事実を確定し、本件公正証書は、公証人法所定の要件を具備しないものとして公正の効力を有せず、債務名義としての効力もないからこれにつきした執行文の付与は違法であると判断した上、「しかしながら前記認定の如く、本件公正証書への署名を忘却した被申立人(相手方)の代理人佐藤勤が右執行文付与後間もなく前記公証人からの連絡によつてそのことを知りこれら公正証書の原本に署名したことは申立人(抗告人)において争わないところであり、以上の事実関係によれば佐藤勤の右署名によりそのときを以つて本件公正証書二通は成規の方式を具備し債務名義たる効力も生ずるに至つたものと見るのが相当であつて、これと反対に窮屈に解さなければならぬ理由は発見できない。しかして佐藤勤の右署名に先立ち前記公証人が付与した執行力ある正本にはいずれも本件公正証書の原本に同人の署名が己にあるものとして同人の氏名が記載されていることは申立人において自陳するところであり、従つて執行文付与の方式自体は当初から合式の外観を備えていたわけであるから前記のようにして本件公正証書がいずれも債務名義たる効力を生ずるに至つたものと認むべきである以上これにより前記執行文の付与についての瑕疵はすべて治癒されもはやこれを目して違法ということはできないものと解するのが相当であり、これ執行手続経済の考慮に基く結論である。」と判断し、抗告人の異議申立を却下したことは原決定により明らかである。

ところで、原審が確定した以上の事実関係にもとづき本件公正証書並びに執行力ある正本の効力の有無を考えるに、公証人は、当事者その他関係人の嘱託により、法律行為その他私権に関する事実につき公正証書を作成する権限を有する(公証人法第一条)のであるが、その作成した文書は公証人法及び他の法律の定める要件を具備しなければ公正の効力を有しない(同法第二条)のである。

そして、公証人法は第四章をもつて公証人の証言作成に関し厳格な規定をおき、証書の記載事項として、その本旨のほか一〇項目を挙げ(同法第三六条)、証書の文字の改ざんをすることができないものとし、かつ証書の文字の挿入・削除に関する方式を定め、これに違反する訂正はその効力を有しないものとし(同法第三八条)、公証人は作成した証書を列席者に読聞かせ、または閲覧させ、嘱託人またはその代理人の承認を得、かつその旨を証書に記載することを要するものとし、その記載をしたときは公証人及び列席者各自証書に署名押印することを要するものとし(第三九条)、また証書の正本には証書の全文を記載することを要するものとし、これに違反するものは証書の正本としての効力を有しないものと規定し(第四八条)ている。

したがつて、債権者である相手方代理人佐藤勤の署名を欠く本件公正証書は、その理由いかんを問わず公証人法所定の方式要件を欠くものとして公正の効力を有しないものというべく、また、かかる方式要件を具備しない証書の原本にもとづき相手方代理人佐藤勤の署名があるかのような正本を作成しても、その正本は証書の全文すなわち原本の全文と異なるものであるから、その効力を有しないといわなければならないのである。

次に以上のように署名を欠く証書につき、証書作成手続を完了した後署名を追完することが許されるかどうかを判断する。

公証人法第二条が「公証人ノ作成シタル文書ハ本法及他ノ法律ノ定ムル要件ヲ具備スルニ非サレハ公正ノ効力ヲ有セス」と規定し、証書作成に関する手続並びに方式・要件などを定めながら、署名その他証書の記載の追完の規定をおかなかつたことは、厳正・的確なることを要求される公正証書の性格上追完を許さない趣旨であると解される。

それゆえ、公証人岩住固が昭和三二年九月六日相手方債権者の請求により執行文を付与した後、同公証人からの連絡により署名をしなかつたことを知つた相手方債権者代理人佐藤勤が、本件公正証書の原本に各署名し、その結果さきに同代理人の署名があるかのように誤り作成された正本各一通が、それぞれ原本の記載と一致するに至つても、これら本件公正証書及びその正本は、成規の方式を具備したということができないのであり、依然として無効といわなければならないのである。

以上の次第で、本件公正証書の各正本に付与された執行文の取消と右各執行力ある正本にもとづく強制執行の許されないことの宣言とを求める抗告人の異議申立は理由があるものというべく、これを却下した原決定は失当であるからこれを取消すべきである。

よつて、本件異議申立費用及び抗告費用の負担につき民訴法第九六条、八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 斎藤規矩三 羽染徳次 佐藤幸太郎)

抗告の趣旨

原決定を取消す。仙台法務局所属公証人岩住固作成昭和三二年第一、九六九号・第一、九七〇号各債務弁済契約公正証書の正本につき、同公証人が昭和三二年九月六日付与した執行文はこれを取消す。右執行力ある正本に基く強制執行はこれを許さないとの裁判を求める。

抗告の理由

(一) 仙台法務局所属公証人岩住固は、債権者明和興産株式会社・債務者宮城県漁業協同組合連合会(抗告人)外一名の各代理人による嘱託により、昭和三二年八月三〇日同公証人役場において、昭和三二年第一、九六九号・第一、九七〇号各債務弁済契約公正証書を作成し、同日各証書の正本を右債権者に交付したが、さらに同正本に対し同年九月六日午後三時同債権者のため執行文を付与した。

しかし、右二箇の公正証書は、公証人法第三九条の定める列席者の一人の署名が欠けており、所定の要件を具備せず、債務名義として効力がないから、その正本には執行文を付与すべきでなかつた。そこで抗告人は執行文付与の取消を求めるため、右執行文付与に対し異議を申立てた。

(二) ところが、その後右公正証書にはいつの間にか、欠けていた債権者の代理人佐藤勤の署名が補充された。

(三) 原裁判所は、抗告人申立の異議申立に対し、執行文付与の後ではあるが、原本に欠けていた署名が補充されたから、前記公正証書は債務名義たる効力を生ずるに至つたと認定し、さらにこれにより執行文付与についての瑕疵も治癒されたとして、抗告の申立を却下した。

(四) 抗告人は、以上の主張に次の事項を主張に加える。

公証人法第四八条一項に正本の記載事項として、「一 証書ノ全文、二 正本タルコト、三 交付ヲ請求シタル者ノ氏名、四作成ノ年月日及場所」と規定し、また、同条二項に「前項ノ規定ニ違反スルモノハ証書ノ正本タルノ効力ヲ有セス」と規定している。

本件執行文を付した公正証書正本は、その作成当時証書原本にない佐藤勤の署名部分につき、あるかのように記載されたことは明らかで、右正本の記載は証書の全文にない記載であるから、右第四八条一項に違反し、同条二項により正本としての効力を有しないものである。

また、証書の文字の挿入・削除などについては、同法第三八条をもつて厳格に定め、これに違反する訂正はその効力を有しない旨規定しているのである。かように公証人法は証書の挿入・削除、正本の記載要件などについて、それぞれ厳格に規定されているのに、同法第三九条三項所定の列席者の署名を欠く原本により、その記載があるかのように記載した正本に執行文を付与し、その後において、公正証書の重要事項である署名について、単に債権者代理人が過失によつて署名を忘却したものとして、漫然署名したことにより、公正証書として効力を有するに至つたとし、作成当時原本にない部分まであるかのように記載した正本も、さかのぼつて有効であるとし、かつこれに付与された本件執行文までも効力を有するに至るという原決定には、到底承服することができない。

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